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2012-04-07 [独白]

★政界のゴタゴタが続く中、連立与党を組む国民新党の四分五裂が報じられる。亀井静香と幹事長・亀井亜紀子が事実上罷免され、あとの6人が連立に残るという…だいたいこういうことなのだろう。その中で大飯原発の再稼動問題に早くもメドがつき、消費税法案も何とか決まると言う…

★復興や社会保障の問題など、肝心なことは二の次三の次で、つまらない「政局」がらみでバタバタしているうちに、我々の意を汲まない法案が何時の間にか決まってしまう。

★そのうえ、庶民の苦しみを他所に、地方政党を率いるリーダーたちが、なにやら『政界再編』とかなんとかいうトレンドに乗っかってか、ゴソゴソ動き始めている。

★一体、国民の嘆きや苦しみを聞かないで、何故これだけ、政治屋たちが動くのか?長年分からなかったが、よく考えると、やはりそうか…なる結論に達した。

★つまりみんな、与党も地方政党も、とどのつまり、「票目当て」で動いている、というわけだ。


★原発反対、とか、消費税反対、とかいうと国民に受けがよく、よって選挙のときの票も沢山集めやすいから、国民の受けのいいことを言って、票集めの為に動くのだ。原発とか復興とか言うのは、そういう自分たちのセコイ目的をカムフラージュするための、都合よき「口実」なのだ。

★本当に国難ととらえ、国民の為に動く政党ならば、原発や復興を、自分たちの本当の目的を隠す為に使わない。あくまでも、原発セーブなら、原発セーブを、復興なら復興に取り組み、国民の為に本当に動くものだ。


★そしてそれは、ホトンドいないか、いても一つしかない。それはおそらくは、むかしから「宗教政党」と後ろ指を指されつづけた、あの政党だろうと思われる。
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2012-01-16 [独白]

@今日、東京・昭島で、会社員男性(49)がベッドの上で血まみれになって死んでいるのを、男性の同僚が発見し、警察に通報されたとの速報ニュースが…。

@それによると、男性は全裸で死んでいて、前身に複数の刺し傷があったという。が、それから先の説明に、なんともねっとりとしたものが心に張り付いたような、気持ちの悪さを感じた。

@なんと、この死者は“あるべきところ”を切り取られ、それをベッドの下に捨てられたのである。裸にされてメッタ刺しにされた上にアレまで切り落とされるとは…。こりゃ犯人は女だな。と思うと同時に、自分の頭の中から、今から76年前に起こった、よく似た事件が思い起こされた。世に言う「阿部定事件」である。

@昭和11年(1936)、阿部定という女性が、愛人を殺害し、その局部を切り取り、自分の懐に隠し持っていった、という、当時「猟奇事件」として大きなニュースになった事件だ。阿部定はその後、旅回りの女優、旅館の仲居など、いろんな職を転々としたあと、昭和も終わりに近づいたある日、ひっそりと死んだ。

@阿部定事件とこの事件が違うのは、上に書いたように、遺体から切り取った局部を犯人が持ち帰らなかったことくらいだ。…それにしても、つくづく思うのは、女というのは男のせいでトコトン頭に来ると、仮令恋人だろうが誰だろうが、凄惨なやり方で相手を抹殺せんとするものなのだなぁ、ということだ。

@猟奇的なことをやってまで、思いをとげんとするのだからいやはや恐ろしいというしかあるまい。しかし、それというのも男性側が自分でも意図しないうちに、女性を圧制してきたから、往々にしてそういう事件が起こるのだ。

@男性諸兄にはくれぐれも、自分の配偶者や恋人を何よりも大切にし、そのうえで、きちんとはっきりと、心から愛しているというメッセージを相手に向かって発したほうがいい。

@今回の事件や阿部定のように、メッタ刺しや絞め殺されりした挙句、あるべきところを切り取られ、もっていかれたり、ベッドの下に捨てて置かれたりする場合、大抵は男が女を、性的欲求不満解消の為の、自分だけの玩具にしているのが一番の原因かもしれない。女も人間だから、玩具にされてばかりだと今度みたいに凄惨な復讐をされるかもよ…桑原桑原…。厳重注意、注意(逆もまた真なり)。


@よく電車なんかに乗っていたリ、街を歩いていたりすると、2~3歳ぐらいの子をベビーカーに乗せて歩いている親御さんを見かけることがある。中には子供がかなり大きくなってもベビーカーに乗せている親もいる。大きくなっても障碍があって、それでベビーカーに乗せているならわかるけれど、明らかに障碍がなく、健全なフツーの子供を乗せているんだったら問題だ。

@そういう親は、子供の要求ばかり受け入れ、甘やかしている類の親のように、私には思えてならない。

@子供がもう2歳か3歳くらいになったら、のべつにベビーカーに乗せたりしないで、地面を歩かせてあげて欲しい。仮令、子供が乗りたいといって泣いても、「大きくなったら歩けなくなるよ。それでもイイのかな~」といいつつ、ベビーカーには極力乗せないほうがいい。その代わり、親が子の手をしっかりと握って、一緒に歩いてあげることが大事だ。

@親子でしっかり大地を踏みしめて歩く。それだけでも、親子同士のコミュニケーションがとれるというもんだ。

@電車に乗っていて、ベビーカーに乗せている小さい子供がピーピー泣き出すのは、まぁ子供だからしょうがないといえるが、傍で聞いているとこの上なく五月蝿いものだ。

@まだ年端もいかない小さい子供は、飽きたり、自分の要求が通らなかったりすると、当たり構わず泣き喚く。この間など、斜め向こう側の座席に乗っていた親が、子供が“ぎゃらすかぎゃらすか”という感じで激しく泣き喚いているのを一所懸命あやすのだが、自分の要求が通らないことに腹を立てたのか、さらに大声で狂ったように泣き喚く。

@こうなると、自分としては非常に耐えがたい。ので、「うるせんだよ!ガキぐらい黙らせられないのか」という思いが
灼熱のマグマのようにむくむく湧きあがってきた。泣き喚き続ける小さな怪物を、仮令電車を降りてでも黙らせるのが親としての責務ではなかろうか。泣き喚く子供を黙らせたかったら、途中下車することをお薦めする。


@人間というのは何をやっても変われないものなのかねぇ。相変わらず核に執着している権力者。原発事故のその後の災禍に苦しめられる人々の気持ちがいまいち分かっていない為政者や電力会社。自己の権力維持に躍起になり、反対する市民を殺す独裁者。…こんなのが今世紀になってもまだいるっつうんだから、人間圏の構成員たる「人間」を変えるというのは難事中の難事だ。

@でも、それでも「変わることは大事だ」「いい方向に変われるんだ」という執念にも似た、強い信念を持っていれば、変わらないことは決してない。また、そういう奴だけがおのれを変えられる、と確信している。自己変革はそのぐらい強い信念がないと、絶対になしえないことなのだ。

@人間なんてかわらねぇ、と言って自己変革を諦める奴に、物事は愚か、自分自身を変えることなど不可能なのだから。「人間、諦めが肝心」なんてほざいている間は、世界と自分は変えられないよ。
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乾いた寒風と澄み切りすぎる青空。 [独白]

★ここんとこ、ほんとうにお湿りのない日々が続いている。毎日、吹きっさらしの乾いた寒風が吹き、悲しいほどに澄み切りすぎた青空が、我々を冬の乾燥と冷えで苦しめている。

★冬が厳しくなればなるほど、春がすぐそこに来ている。そう思うなら、ここ数日の渇きと寒さに耐えがたいと思うことは少なくなるが、しかし…こう毎日お湿りがなく、その上空っ風と澄み切りすぎの青空の日々が続くと、何かするにも億劫になりがちだ。


★チベットで元僧侶の12人が、焼身自殺を図ったと小耳にはさんだ。やはり中国本土当局による様々な圧力への抗議ゆえなのだろうか。油をかけて身を焼く以外に何か方法はなかったのだろうか。何とも悲しいニュースだ。


★金正恩体制に突入した北朝鮮。多くの国民の間からは「小さなガキ」呼ばわりされているとおり、この正恩の面構えを見ていると、如何もオヤジよりも出来が悪そうに見えて仕方がない。こんなんで果たして、軍の掌握は無論のこと、国民の真の信頼は得られるのか。かえってむしろ、軍に利用されるんじゃないのか。

★彼らにより、ある意味、正恩は北朝鮮という、軍事以外に恃むものがない貧窮国家を「強力で盛んな国家」に見せかけて宣伝する為の「ロボット」に、既になりつつあるのではなかろうか。


★世界の激動にウェブを用いて、下克上で向き合う気力のないわれらの国の若者だが、日本を変えたい、という気持ちが彼らの中で強まっていることが、ある調査で明らかになった。震災以後、彼らの中で人の為、社会の為に尽くしたいという気持ちが現われてきたと、調査を行った会社は分析している。これを見て思うに、ゆくゆくは日本は世界平和の為にいろんな形で尽くす国家として、21世紀を生き延びようとしているのかもしれない。

★今のこの島国世界の若者が、そのように思っているのなら、「イマドキの若者は覇気がねぇ」とか「もっと外へ打って出ろ」などと言う事はない。我々年長者が、彼等の為の、いろんなジャンルでの「受け皿」を用意するほうがよい。

★その中で、外へ打って出たい奴が出てくるかもしれないし、国内に留まって、この社会を良い方向へシフトさせるべく、あらゆる努力を惜しまぬ奴も増えることだろう。いずれにせよ、この島国世界は変わらなければならない。世界へ更なる貢献が出来る良い国へ。

★その際邪魔になるのが、「日本だけサイコーで韓国や中国は屑」(趣意)というような考えを口にする、おもにネットで蠢く「国粋派」の連中。有楽町駅前やお台場で“韓流くたばれ”デモを遂行したのはこの「国粋派」の考えに染まってしまった人々だった。

★「国粋主義」はある種、「ナチズム」「ファシズム」と底で繋がっている、一種の排外主義だ。今は集会結社の自由が憲法で保障されているから、許可さえ得ればそんな主義の人間たちがデモをやろうとやるまいと、いっこうにおかまいなしなのだが、如何もこの「国粋主義」の蠢きが、日本の未来の、歩むべき道程を誤らせはしないかと、多少ながらも危惧している。

★「みんな違ってみんないい」という言葉(金子みすヾ)に象徴される、数多の生命を尊重するという哲学が、我々の精神と意識の通奏低音になければ、こういう「日本は素晴らしい、外国はクソ」という考えは幾らでも蔓延ってくる。国粋主義やナチズムに代表される「排外主義」は結果的に、国土世間と社会を滅ぼしてしまう。それがこれらの主義に染まってしまっている人々には一向に理解できていないようなのだ。

★1918年から1920年代にかけ、第一次世界大戦後の独逸が、経済的にも追い詰められた挙句、ヒトラーのナチ党(NSDAP)に象徴されるナチズムを生み出してしまったように、我が国もバブル崩壊以後、やはり経済的に逼迫した挙句に国粋主義が叫ばれている。

★然し、他の国家もそうなのだが、とりわけ日本は、諸外国のつながりナシには生きていかれない脆弱な国家なのである。国粋主義を吹聴する向きと、それに染まっている人々には、そのことが少しも分かっていないようだ。中国、アメリカ、韓国なしでも生きていける!そう只管、思い込んでいるらしいのだ。

★これでは、明治の文明開化前後の頃に、排外主義をさけんだ連中と何ら変わりがない。

★いったい、如何したら、万物尊重の哲理を、われらが精神の通奏低音とすることが出来るか。それについては、いろいろな人が身体を張って、沢山主張しているのだが…。
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今年の終わりが刻々と近づく…。 [独白]

@震災を始め、色々な激動があった2011年も、明日でラストとなる。震災は我々この島国の住人一人一人に、それこそ様々な課題を突きつけてきたはずだ。

@絆とは?安全とは?愛とは?命とは?…そうした課題に対して、十分な答えのないままに、日本は崩壊へと向かうやも知れぬ。このまま何もしないでいれば!

@世界も動乱につぐ動乱の日々を送った。ギリシャが破綻しそうになり、緊縮財政を布いた政府に民衆が怒りの抗議の声をあげ、大混乱が起こった。一度は落ち着いたはずの「アラブの春」も、暫定政権を執る軍に対して民衆の反発と不満が大爆発し、タハリール広場などで暴動が起こっている。が、選挙は滞りなく行われた。

@日本でも、震災の復興そっちのけで、与党が仲間内で四分五裂を引き起こし、ややもすると崩壊しかねぬ状況になってきた。あの!小沢一郎に近いといわれる、消費税率アップに反対する9人の議員たちがいっせいに離党を表明し、民主党を抜け出し、新党を立ち上げるものと思われるが…。幾ら新しい政党を立ち上げても、古巣と同じ醜態を晒すのなら、新党立ち上げの意味はなくなる。

@北風がひゅうひゅうと吹く日々が続く。温暖化、温暖化、とよく言うけれど、やはり然るべき季節には全てを凍えさせるほどの力をもつ冬将軍がやって来るものだ。決して温暖なんかじゃないさ。それに今年はエルニーニョだし。


@20世紀が終わり、21世紀もテン(10)年代に入った今日、世界の混沌はいよいよ増すばかり。来年は更なる動乱、混乱、大騒動がおこるやも知れぬ。

@もし、来年限りで地球の歴史が終わるとしても、自分はいつもどおり、淡々と過ごすことであろうよ。
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ぼつぼつがたり(4) [独白]

☆もう半年以上もこの「ガラテア」の更新がないままになっていた。ので、とりあえずは今年も押し迫ったことだし、久々に更新することにした。


☆…☆…☆…・・・…☆


☆想定の範囲内になかったといわれる、あの巨大津波を伴い、およそ2万人もの命を奪い、行方知れずにしてしまい、おまけに原発まで破壊し、この国が放射能漬けになるきっかけを作った、未曾有の震災は、私たちの文明の恩恵に浸りすぎてたるみきった、自己中心的な魂を、ある程度刷新するのに充分だった。

☆みんな、周りの人とのつながりを大切にしたいと思うようになり、婚姻率も多少は上がったことだろう。何しろ東北の太平洋沿岸の人々は、あの震災で大切な人や家を失い、精神的にも大きなダメージを負ったのだから。

☆それを観ていた被災していない我々の大多数は、家族と仲間とは何時までも繋がっていたいものだと、強く願うようになった。そして…人のために何かしたいという、利他の芽が我々の中に芽生え始めたのである。

☆この利他の芽が、何時か大樹と育ち、仮令如何なる障碍をかかえた人であっても、またあるいは如何なる肌の色の人であっても、共に差別排斥の悲運を蒙ることなく、“みんな違ってみんないい”の共存共栄の思考様式が出来上がり、どんな人間でも幸せに人らしく生きられる国土に、この腐敗しきった日本を変えていくことだろう。

☆世を見渡せば、韓国野郎は出て行けだの、在日コリアンは失せろだの、排外的な言辞をあからさまに言うバカがいる。それもインターネットという、匿名でも意見を堂々といえる場で、である。そういうやつらこそこの国から出て行くべきであると私は言いたい。外国と繋がっていなければ、日本は生きられないのだ。みんな違ってみんないい、という共生の哲学は、彼らにとってはその本質からして全く理解できない代物であるばかりでなく、それを受け入れたら、おのれのアイデンティティを見失うものなのだろう。

☆とにかく、せこい政治的な理由を持ち出してまで、外国出身者との共存を嫌悪する者たちに、日本の未来について語る資格は毛ほどもないと言わせてもらう。あたかもナチスの如き“純血主義者”は、最早今日において、存在意義を完全に失った、といっていいだろう。

☆クリスマスイヴの今日、有楽町あたりや銀座あたりを歩いていた。有楽町ビックカメラの前で、ビッグイシューを売っていたおじさんを見かけたので、お金を払って購入し、別れ際にひと言、頑張ってね、と声をかけた。おじさんは笑顔を見せてくれた。

☆有楽町から京橋を越え、日本橋を経て新常盤橋のあたりまで来ると、あたりはもう真っ暗けだ。ビルの明かりだけが、わびしくなる心持を支えてくれる。シコシコ歩いているうちに、なんと見覚えのある看板が見えてきた。神田小川町名物(?)「顔のワイシャツ」の、にっこりしている丸坊主のおじさんの大きな看板だ。聞いたところでは「顔のワイシャツ」の創業者だか誰だかの顔がモデルだそうである。

☆このおじさんは創業以来、ずっとあの顔で小川町の一角で笑っているのだと思うと、あの看板が何時までも残っていて欲しいと願わざるを得ない。かつて一世を風靡した音楽集団「たま」の楽曲「まちあわせ」にもこの「顔のワイシャツ」が登場する。もっとも、その中では「神保町、顔のワイシャツのま~えで~…♪」と歌われているが…。おいおい!神保町でなくて小川町だよ、と言いたいところだが、それはそれで、まぁご愛嬌ということで。。。

☆やがて秋葉原に来る。まだまだ明るいが、電気街では老舗の、ラオックスとか石丸電気のビルのネオンが消えている。節電の故か…やはり。

☆とある土産物屋に入る。変な形をした水鉄砲がある。良く観ると男性自身の形をしている。うわあ~、これじゃアダルトグッズじゃないかえ。横にはポヨンポヨンとしたボールがおいてあり、それは女性のおっぱいの形をしていて…。アダルトすぎるよぉ。周りを見ると今流行りのAKB48のメンバーの顔写真や生写真が張ってあったりしている。その下にいかにもアキバ的な「私は神だ」「ショボーン( ´・ω・`)」などの笑えるフレーズや顔文字キャラのグッズがあったりする。

☆秋葉原を後にして、電車の中の人となる。車窓からスカイツリーが点灯するというので、一所懸命車窓の外を見る。ほんのりと白い明かりがツリーに点っている。あの下では寒さに耐えながら、その光を見て聖夜を祝う人々がたくさんいるのだろう。

☆斯くして、12月24日の寒い夜はふけていく・・・。
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ぼつぼつがたり(3) [独白]

★凡そ4ヶ月ぶりにこの日記を更新する。


★この4ヶ月間、大きな事があった。御周知のように、あの東北関東大震災(東日本大震災ともいう)が起こった。東北から関東北部一帯が、マグニチュード9.0という、スマトラ沖津波大震災とホトンド同じ規模の地震に見舞われ、おまけに、これもスマトラ沖以上の超巨大津波に襲われ、人間、行政機関、文化施設、商業施設など、全てホトンド、海の中に呑み込まれていった…。

★愛する人を失い、思い出をも失い、夥しい瓦礫の山が連なる廃墟と化したふるさとを前に、生き残った人々は呆然とし、悲しみに暮れ、廃墟の中を、失われた全てを探す為に、廃墟の町を彷徨い続けていた…。

★インフラは断たれ、燃料も食糧も底を尽きかけ、場所によっては被災者が餓死寸前に追い込まれたところもあったと聞く。

★生き残った人々は、ある人は高台に逃げて助かり、ある人は廃墟の中から、自衛隊や各機関からの救援隊に救い出されて命を拾った。津波によって破壊され、屋根だけになった家の上で彷徨っていたところを助け出され、その後、無事飼い主と再会出来た犬もいた。

★今日の時点で、被災して亡くなった人、行方不明の人は合わせて28,000人近くになった。日米の捜索隊(米軍と自衛隊の混成チーム)が今、海の上で、また陸上で、一所懸命になって不明者の捜索に当たっているそうだが、津波に攫われ、海に流されて死んでいった人が沢山いるし、全てを見つけ出すのに、非常に厳しい状況が続いている。

★その一方で、少しずつ復興の兆しが見え始めている。インフラも一応は通るようになり、燃料の心配も、温かくなってきたので当分心配しなくて済むようになり、多くの避難所でボチボチ供給されるようにもなってきたので、解消されつつあるようだ。また、仮設住宅も建てられ始め、それまで避難所生活をしていた人々が次々と入居し始めている。

★老朽化しきった福島第1原発。地震と津波による甚大すぎる破壊で水素爆発を起こし、それがきっかけで全てがガタガタになった。事故後、炉心熔融を何とか食い止めようと、ぶっ壊れた1号機や3号機に自衛隊や東京消防庁のレスキューチームが懸命な放水を行い、炉心を冷やしつづけた。

★が、その一方で放射能を含んだ水の、海へのタレ流し等の不始末や、土壌汚染が問題となっている。農家にとって土壌の放射能汚染は、いわゆる“風評被害”の為に、折角作った作物が売れず、ゆえに大きな死活問題となっている。

★原発事故に際しては、福島第1原発を擁する東京電力は、国際社会から情報開示が少ないと言われ、やっと本腰を入れて情報公開をする始末。何れにせよ、「原発安全神話」は完全崩壊した。

★また放射能漏れ&拡散関連について情報公開が中途半端なうえ、情報の共有という点で政府や保安院と連携が取れていなかったゆえに、メディアから激しく叩かれることになった。…聞くところによると、放射線の拡散情報すら、日本国民ばかりか、国際社会にきちんと開示していなかったと言うではないか。

★…以上の一連の出来事を見つめて、わたくしが思うに、『嗚呼、これで、思考から何から、古い日本の全ての様式は、崩壊していくのだな』と。


★いい学校を出て、いい会社へ就職し、ドンドン稼いで出世して、家族全員つつがなく暮らす。これが日本全国共通の「幸せの方程式」だった。しかし、今回の大震災で、これが全く使えなくなった。見方を変えれば、この未曾有の国難が、この一方通行の方程式から、私たちを自由にした、ともいえる。

★賞味期限切れの、幸せの方程式から自由になった私たちは、互いの絆を取り戻した。震災前、オピニオンたちやメディアが「無縁社会」と言う言葉をヒステリックに喧伝していた。本当は違っていた。何処が「無縁社会」なのか。私たちの間の、人と人との「絆」が、震災後、実は健在だったのがハッキリしただけなのかもしれない。


★原発は安全だ、クリーンだ、想定外の事故など起こらぬ、という、東電や官僚が散々我々に吹き込んできた「安全神話」は、上に書いたように完全に崩壊した。世の中、想定外の事故は必ず起こる。完全に安全なものなどないのだ。狂気のように荒れに荒れたる自然の猛威の前には、人間が作った機械の「安全神話」など、たった一瞬で、ボン!と吹っ飛ばされるほど、脆いものなのだ。…今回の震災は、斯かる観念を我々一人一人の頭にしっかりと、刻み付けた筈だ。

★そして、その代償として我々は、放射能の脅威に大なり小なり、晒され続けるのだ。特に、原発の近くに住んでいる人々は、原発が事故を起こせば、何時終わるとも知れない見えない恐怖に、おののき、耐え忍ばねばならなくなるのだ。

★そして、今回被災しなかった我々も、いつ何時、東北と北関東(長野県も)の被災者と同じことになるか、分からないのだ。自然災害は気まぐれに訪れる。忘れた頃、不意に襲い掛かってくる。今こうしているときも、起こるやも知れぬ。我々の気構えと覚悟が、そのときに問われることになるだろう。

★何はともあれ、今度は本当に、長い闘いになるだろう。この長い闘いは、ユーラシア東端の島国が、全く新しい形で再生する為のものである。ならば我々はこれを戦いきって、新しく変容しようではないか。
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背後に横たわる“観念”こそが…~幸満(ゆきまろ)ちゃん殺人事件に思う~ [独白]

★この間あった幼女殺人事件の公判で、加害者の男が犯行の一部始終を認めた、というニュースを見て、以来、ずっと考えていた事をこの「ガラテア通信ブログ板」に書こうと思う。


★成田幸満(ゆきまろ)ちゃん(当時5歳)が殺害された事件で、被告の男・勝木諒は、裁判所で行われた同事件の公判で、供述調書の内容を「私がやりました」と全て認めた。勝木被告の弁護人は「被告は心神耗弱状態であった」と主張し、対する検察側は「周到な用意の上で起こした事件」と反論している。


★この事件がマスコミなどで大きく報道された当時、勝木が知的障碍を抱えている人間だという事が引っかかっていたが、今回の公判で、その時感じた「ひっかかり」が蘇ってきた。勝木が障碍を持っているという事と、彼の弁護側の陳述とを、我が拙き頭の中でなんとかつなぎ合わせ、何故彼が何故当時5歳の少女を殺さなければならなかったのか、ずっと想像をめぐらしていた。

★おそらくはこういうことだったのだろう……勝木は小さな頃から障碍を抱えていて、その事で皆に事あるごとに、悪口を言われたり、いびられていた。そのころから勝木の脳内に屈辱の感情が積み重ねられていった。そんな彼は養護施設に入り、20代になるまでその施設で世に出て生きていく為の訓練や勉強を続けていた。養護施設を出てしばらく経った頃、あの不幸な事件が起こってしまった。


★勝木が街中を歩いていると、通りかかった幸満ちゃんと出合った。出会い頭に彼を見た幸満ちゃんの頭には、親や周囲から刷り込まれてきた「バカ」=「知的障碍の人」のイメージと、勝木の印象がつながってしまったのだ。当然彼女は、ああこれが親が言っていたバカな人なんだ~!と瞬間的に思ってしまい、つい彼の前で口に出してしまった、「ば~か」と。

★5歳と幼い故に、彼女は他者の前で言葉を慎む、ということがよく分からない上に、勝木のような知的障碍について何の正しい知識ももっていなかったから無理もない。

★この5歳の子の「ば~か!」という言葉を聞いて、瞬間、勝木の脳裏に幼い頃から感じていた屈辱の感情が蘇った。「バカ…?バカといったな?!」瞬間的に彼の脳細胞は最大に怒りのモードになり、伝えられているように残虐な殺しを行ってしまった。そして事が済んだ後で彼は我に帰り、パニック状態に陥ってしまった…。

★……以上は、あくまでもこちらの個人的な憶測である。が、考えれば考えるほど、上のようないきさつで事件は起きてしまったとしか思えない。


★欧米諸国と違い、日本では知的障碍者・児についての人権保護や就職など社会生活支援の動きが未だに不十分だ。何せこの偏狂な島国では、40~50年前までそういう障碍を抱えて生まれてきた人たちは、世に出すのが恥ずかしいということで、一人の人間として扱われず、家族が檻のある施設に入所させたりして、世の中から隔離してきたのだから。明らかに不当な扱いとしかいえないが、それが長い長い間、続いてきた為に、時代が変わって障害者の人権を保証する法律が出来ても、習慣として障害者を「バカ」「不具」扱いする観念は今に至るまでしつこく染み付いているのが実情だ。

★そしてそんな感情が、日本の障害者(一見健常者に見えるが、実は脳内の先天異常等により、コミュニケーション能力に難があり、長ずるにつれ社会生活に支障をきたしてしまう「見えざる障碍」を抱えて生きている、いわゆる「発達障碍」の人も含めて)の人権保障や生活支援が進まない、ひとつの極めて大きな原因になっているのではないか。

★今回の幼女殺人事件は、社会に染み付いたその感情の為に起こった、悲しむべき事件になった。


★司法では勝木自身を「殺人者」として処分しようとし、彼の瞬間の激怒ゆえに殺されてしまった幸満ちゃんの遺族は、彼に「死をもって罪を償え」と訴えているようだが、自分が拙い脳細胞で考えるに、幸満ちゃんに障碍者である勝木を「バカ」と言わせ、勝木に瞬間的に殺意を齎し、幸満ちゃんを殺させたのは、この国に昔から染み付いている障碍者差別の観念なのではなかったか。そして勝木も幸満ちゃんも、その観念ゆえに人生を破滅させられた被害者なのではなかろうか。

★凡そ人間であるからには、ハンディキャップがあろうがなかろうが、誰でも他人に、不意に笑いものにされたら「何?」と、瞬間的に怒りが湧いてくるのは当然だ。そういうのは相手にしなければよいのだが、心身ともに障碍を抱えている人間の場合、ひねもす周囲から「バカ」扱いされていたら、世の中に対して憎悪と屈辱の感情が、彼の心の中に澱のようにたまっていくのは想像するに難くない。


★そしてその澱のような感情が、他人に「バカ」呼ばわりされた途端、マグマのように爆発し、時に今回のような悲劇を起こしてしまいかねない。今回の事件が、障害を抱えて生きていくものと、そうでないものとの関係性について、真摯に真剣に、この島国の多くの人々が考える、その切っ掛けになればよいかなと思っている、と書いたところでこのエントリーをUpする。
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ぼつぼつがたり(1) [独白]

★10月の連休は雨で明けた。そういえば前の連休の中日(なかび)も雨だった。しかし今日は昼に入る前から雨がやみ、昼のちょっと前に漸く、お天道様が雲間から顔を覗かせ始めた。

★天気が良くなったのに気を良くして、銀ブラにみせかけ、銀座のアップルストアに赴く。有楽町駅で降り、プランタンのあるほうから、サエグサビルに向かう。店内に着くとおもむろに試用機に向かう。ヘッドホンのプラグを見つけてそこにプラグジャックを差し込み、YouTubeにアクセスして視聴したいものを検索。

★昔のTV局のオープニング/エンディング映像を見る。結構局ごとに個性が違って面白い。こういう映像や音楽を録画・録音したものをYouTubeやニコニコ動画といった動画投稿サイトにアップする人たちが結構いるのだ、ということを実感させた。

★個人的に,これはGood!と思ったのは大阪の毎日放送(MBS)でかつて90年代まで使われていたオープニングとエンディングの音楽。いずれも金管楽器による勇壮なファンファーレ。聴いていて思わず背筋がピン!となるほどに勇壮であった。これならば、ドンナに晩く寝ていても、パッチリお眼々が醒めるだろう。

★もう一つ。同じ毎日放送で、現在放映中のオープニング/エンディング映像&音楽。スタジオの調整室、関西で見られる様々な風物…祇園祭、白鳥、桜、お坊さん、紅葉、夕暮れ、大阪の夜景、などなど…。そして茶屋町にあるという現在の社屋をバックに「毎日放送・JOOR-DTV」のロゴが白抜きで大映り。これらをバックに流れる、ゆったりとした、素晴らしい音楽。先ほどのファンファーレとは水と油の如く対照的な、やさしい曲調。

★映像につけられたコメントを見ると、この曲はアルフレッド・リードというUSAの作曲家によって書き下ろされたミュージック・イン・エアー」という吹奏楽曲で、演奏が大阪市音楽団、とあった。リードの作品は私も高校時代から暫くの間、吹奏楽団にいたこともあり、馴染み深いものだが、これは本当に関西の雰囲気に合っているというか、イントロダクションからして東洋的、日本的な響きが感じられる…まさに佳曲。おそらくはリードの作品集に収められているのだろうが…。

★毎日さん以外には、朝日放送(ABC)で1960年代から`90年代まで流れていた音楽と映像。これも良かったな。堂々とした力強い曲調。ピヨピヨ…と鳴く小鳥の声もおまけについてくる。映像は「未来都市ヴァージョン」と「世界の夜明けヴァージョン」の2シリーズがある。年代的には「未来都市」のほうが古い。これら関西圏のTV音楽といい、在京キー局の「鳩の休日」(日テレ)や「ガラス棒」(TBS)といい、やはり昔のTV用音楽は本当に曲ごとに個性が強く出ているのだった。そのぶんだけある意味『芸術的』だった。

★そうしたTVの面白い珍品映像を堪能した後、すぐにヴァーグナーの「タンホイザー大行進曲」とヴェルディ「アイーダ大行進曲」をYouTubeで聴く。やっぱり巨匠の音楽はいいねぇ!さっきまで視聴していたTV用音楽もいいけど、独逸と伊太利亜の浪漫派2大楽劇作家の音楽は、魂を芯から歓喜させてくれるものだ!『芸術的』の格も中身も違う。

★YouTubeの映像を充分に堪能した後、家路を急ぐ。本でも買おうと思ったが、やめにした。明日もあるしね。
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9月初めの雑感―ゲルニカ(Guernica)という音楽集団について―。 [独白]

★まだまだ続く酷暑。町を行く人々はみな未だに夏の服装。きょうはいつもの半ドンが終わった後、灼熱の太陽を避け、日陰を選んで歩いた。職場近くの蕎麦屋「砂場」で昼食後、銀座へ。

★銀座の歩古典(ホコテン)に出る。雲ひとつない青空、ガガッと照らす白熱の烈日。すっかり焼けて熱くなった路面のアスファルトの上を、せわしげに、またけだるげに歩く通行人たち。

★流石にこの上を長時間歩き続けると、熱射病でバタリ!と倒れるかもしれないので、すぐ向かいのアップルストアで、暫く涼む事にした。

★やはり店内はガンガンに冷房が効いているのと、お客がMacやiPod,iPadに何時も注目しているアップルファンバばかりのようなのとで、きょうも満員御礼だ。


★まずはiMacの試用機を使って、safariを呼び出し、見たいサイトを見る。まづは先日自宅PCにてネットサーフィンの際、偶然見つけた「ゲルニカ」(Guernica)という、ピカソのかの大作から名前を拝借したという、音楽ユニットのオフィシャルサイトにアクセス。

★実を言うと、このGuernicaなる集団、自分がまだ高校生の頃から興味があった音楽ユニットで、LP、CD各々3枚、シングルレコード1枚を今も所有している。因みにGuernicaの構成員は音楽家の上野耕路(電子楽器、ヴァイオリン、作曲担当)、女優の戸川純(ヴォーカル担当)、現代芸術家の太田蛍一(主にジャケット等のデザイン作画と作詞担当)以上の3名である。

★1980年ごろにTV放映されていた「おしりだって洗ってほしい」(TOTO)のCMの印象が強い戸川純だが、歌手としての彼女のキャリアは、なんと此処から始まったとか。

★かつて都内に存在した(今もあるのかな?)「ナイロン100%」、「鹿鳴館」といったライヴハウスを中心に活動を続けていた。レコードリリースは自分の記憶するところでは1979年、「銀輪は唄う」(シングルレコード)、「改造への躍動」が最初だったようだ。時に日本全体がまさにバブルの狂騒に浮かれ始める前夜のことだった。

★その後、数年間の休止期間を経て、バブル末期の1988年、「新世紀への運河」、翌年「電離層からの眼差し」を発表、コンサートツアー活動の後、又も活動休止状態に入ってしまった。

★当時の私は、このとき都内で行われた、彼等のコンサートツアーを聴く幸運に恵まれた。今思えば、これが自分にとって最初で最後の『ゲルニカ体験』であった。

★コンサートは二幕構成で、舞台上の戸川純は第一幕は大正~昭和初期の銘仙風と思しき着物、第二幕はかつてのヴァンプ(妖婦)女優、セダ・バラ(Theda Bara=サイレント時代初期のハリウッド映画で活躍。「カルメン」「シーザーの御世」などの出演作がある)を連想させる、エキゾティックでオリエンタルな衣装で登場し、彼等がこれまでリリースしたアルバムの中から幾つかチョイスしたナンバーを歌って、聴衆を魅了した。会場内はまるで1920~’30年代のアールデコか、若しくはそれ以前の1910年代のアールヌーヴォー的な、セピア色のムードに包まれていた。


★その後、構成員たちは各自の活動に専念しているようだ。上野耕路は最近、キユーピー㈱のCM曲「たらこたらこ…」の作曲を担当したそうだし、太田蛍一は今も画家・デザイナーとして活躍中。戸川純は、同じく女優であった妹・京子の死後、病を得て暫く世間に現われなかったそうだが、つい先日女性誌に最近の動向が掲載され、それによると、他の個性的音楽家と元気に競演していたそうな。


★Guernicaの志向していたと思われる、ヴィジュアル面でのお手本モティーフは、主にスターリン台頭以前のロシア(ソビエト)で盛んだった芸術様式「アヴァンギャルド」か、分離派(ダダイズム)と呼ばれる美術形式だった。そうしたスタイルの流行ったかつての時代風景を多少のユーモアを交えながら、パロディと言うにはあまりに大真面目、また芸術的と言うにはあまりにオーヴァーステイトメント(大げさ)な身の振り方で、彼等は音楽表現していたのではなかろうか。…ということを、今になって考えている。

★Guernicaは、しかし、果たして1980年代のミュージックシーンにおける、単なる「あだ花」のひとつだったのだろうか。彼等の一見オーヴァーなライヴでの表現に秘められた、芸術性の本質や哲学性は、今後、再評価されるべきであろう。
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2010-07-31 [独白]

★久方ぶりに銀座・数寄屋橋のSONYビルに来た。ここでは今、「Sony Aquarium」が沖縄美ら海水族館などの協力で開催中。ビルの前の広場には毎年のように魚たちの泳ぐ水槽があり、親子連れやカップル、外国からの観光客がきらきらと目を輝かせて、水槽を見つめていた。

★水槽には鮫が3頭、ネムリブカ、トラフザメ、サカタザメ。エイが1頭、毒ウツボが1頭、巨大なハタ1頭、蝉海老、錦海老、その他キンギョハナダイ、ルリスズメダイ、デバスズメダイといった色鮮やかな小さな魚たち多数。

★鮫たちとハタ、ウツボの迫力に圧倒されるお客さんが結構いた。中に入ると、筒型の水槽が2つ。ロビーの真ん中には赤や緑などの極彩色の模様を着込んだ大きなブダイが。その他サザナミヤッコ、自分より大きな魚の身体についた寄生虫などを食べ、相手の体を綺麗にするホンソメワケベラ、チョウチョウウオ、クマノミの一種、逆立ちして泳ぐヘコアユ、そして体が透明な小さな魚たちの群れも。

★玄関の右端にある小さな円筒形の水槽には、タイマイ(玳瑁)の子どもと思しき海亀が1頭、水面に浮いたり、水底に沈んだりしていた。甲羅の長さは約25㎝と見た。


★上に上がって立体映像の出るコーナーを見てまわる。マングローブの林、珊瑚礁の海、そして外海を行く回遊魚たちの姿。3D用のめがねをかけて見るのだが、長く見ていると少々チカチカしだす。

★更に上階へと上る。SONYのTV「BRAVIA」のあるコーナーにハイヴィジョンシアターがあり、観覧自由ということで其処にはいると結構狭いが故に、たった数人で、もう満員になっていた。隅っこで見る。

★北極の風景。ホッキョクグマ、イッカク、セイウチ、おろろん鳥(ウミガラス)の姿を見る。ホッキョクグマは温暖化の所為で自分の居場所を無くしつつある、ということが映像を見てじかに伝わってきた。

★ハイヴィジョンシアターを抜け出し、ソニーショップ「AVIC」へ行く。久しぶりに来たら場所が変わっていた。しかも聞けば、嗚呼なんときょう(07/31)で閉めると。何だか寂しい…。自分なんかもう10年来も来て、時々だがヘッドホンやその付属品を買っていた。店員さんの対応が良くて、私はこの雰囲気が好きだったのだが…。

★裏へまわると7階、リストランテ・サバティーニ数寄屋橋店のあるフロアへ。この場所は自分が思うに、SONYビル開館当初の面影を伝えてくれる貴重な場所。天井の六角デザイン(ハニカム形状)から当時の空気が伝わってくる。


★其処からすぐ上の階がSONYビル自慢の簡易3Dシアターのある、オーパス(OPUS)。入り口にくるなり3D用メガネを渡される。中へ入って2、3分ほど待つと、もう始まった!

★映像を見る。飛び出す映像!見るだけで圧倒される威容を見せる地球最大の魚類、ジンベエザメ、大きくゆったりとはばたくように泳ぐマンタ!その他、黒潮に生きる魚たちが戯れていた。そう、映っているのは沖縄・美ら海水族館の「黒潮の海」のコーナーだ。

★ジンベエザメは兎に角大きい。そしてとてもおとなしい。「大きくて優しい」。そんなジンベエザメが、雄大にゆったりと泳ぐその姿に、心が震える思いだった。

★ジンベエザメのお食事風景がとても良い。大きな口を広げてえさを水といっしょに吸い込む。自然界ではアミ類や動物性プランクトンなどを一気に吸い込んで食べると聞いていた。


★OPUSの映像を見終わった後、和光の時計台方面へと足を運ぶ。アップルストアでiMacの試用機にタッチして、ツイッターにログイン。幾つかツイートした後、YouTubeを見る。ハーピスト・松岡みやびさんの動画映像を検索して見つけ、えもいわれぬ音色にうっとりしながら視聴。

★その後、茂木健一郎氏がUstreamで自主放送している「けんもぎTV」を見てから、またYouTubeへと戻り、動画を見る。

★その「けんもぎTV」では茂木さんが、心の中に抱いていた「今の日本を支配しているシステム」に怒りつつ、「自分を束縛しているものを断ち切り、フィールドを自由に走り回るように生きるのだ、今からでもできる」と言う内容のことを言っていた。

★彼は日本という小世界を深く愛するが故に、何とも後ろ向きな日本の、今の現状に怒りと悲しみを向けられるのだ。彼は怒りながら、実は心の中の深いところで涙しているのではなかろうか。私には思える。

★彼の心の涙は、潜在能力を持っていながら、色々な慣習とか制度とか受験システムとかに縛られすぎて、それを発揮できないまま人生を棒に振りがちな我々の眼線に立ったうえで、何とか我々にそれらの呪縛を、己の内発的な力で超えてほしいとの深い願いから発しているのだ、と私には思えた。


★氏は我々に向かって、個々人の精神まで縛り付ける「鎖」を断ち切れ!とそれこそ懸命に叫んで、明治以来の社会システムからの脱却を促し、ネットの普及により「偶有性の必然化した」この世界に本気で飛び込んで生きろ、と訴える。(彼もきっと我々と同じように「鎖」に縛られているところもあるであろうが、それを自ら断ち切ろうとしているのに相違ない)

★それは全地球上の津々浦々における、異文化・異世界とのぶつかり合いという、今になってますます激しさを増していく事態と、通底しているように思えた。我々は勇んで、そのぶつかり合いの中に、身を投じる思いで、この混迷する一方の乱世を、孜々として又果敢に、生き抜かねばならないだろう。
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