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背後に横たわる“観念”こそが…~幸満(ゆきまろ)ちゃん殺人事件に思う~ [独白]

★この間あった幼女殺人事件の公判で、加害者の男が犯行の一部始終を認めた、というニュースを見て、以来、ずっと考えていた事をこの「ガラテア通信ブログ板」に書こうと思う。


★成田幸満(ゆきまろ)ちゃん(当時5歳)が殺害された事件で、被告の男・勝木諒は、裁判所で行われた同事件の公判で、供述調書の内容を「私がやりました」と全て認めた。勝木被告の弁護人は「被告は心神耗弱状態であった」と主張し、対する検察側は「周到な用意の上で起こした事件」と反論している。


★この事件がマスコミなどで大きく報道された当時、勝木が知的障碍を抱えている人間だという事が引っかかっていたが、今回の公判で、その時感じた「ひっかかり」が蘇ってきた。勝木が障碍を持っているという事と、彼の弁護側の陳述とを、我が拙き頭の中でなんとかつなぎ合わせ、何故彼が何故当時5歳の少女を殺さなければならなかったのか、ずっと想像をめぐらしていた。

★おそらくはこういうことだったのだろう……勝木は小さな頃から障碍を抱えていて、その事で皆に事あるごとに、悪口を言われたり、いびられていた。そのころから勝木の脳内に屈辱の感情が積み重ねられていった。そんな彼は養護施設に入り、20代になるまでその施設で世に出て生きていく為の訓練や勉強を続けていた。養護施設を出てしばらく経った頃、あの不幸な事件が起こってしまった。


★勝木が街中を歩いていると、通りかかった幸満ちゃんと出合った。出会い頭に彼を見た幸満ちゃんの頭には、親や周囲から刷り込まれてきた「バカ」=「知的障碍の人」のイメージと、勝木の印象がつながってしまったのだ。当然彼女は、ああこれが親が言っていたバカな人なんだ~!と瞬間的に思ってしまい、つい彼の前で口に出してしまった、「ば~か」と。

★5歳と幼い故に、彼女は他者の前で言葉を慎む、ということがよく分からない上に、勝木のような知的障碍について何の正しい知識ももっていなかったから無理もない。

★この5歳の子の「ば~か!」という言葉を聞いて、瞬間、勝木の脳裏に幼い頃から感じていた屈辱の感情が蘇った。「バカ…?バカといったな?!」瞬間的に彼の脳細胞は最大に怒りのモードになり、伝えられているように残虐な殺しを行ってしまった。そして事が済んだ後で彼は我に帰り、パニック状態に陥ってしまった…。

★……以上は、あくまでもこちらの個人的な憶測である。が、考えれば考えるほど、上のようないきさつで事件は起きてしまったとしか思えない。


★欧米諸国と違い、日本では知的障碍者・児についての人権保護や就職など社会生活支援の動きが未だに不十分だ。何せこの偏狂な島国では、40~50年前までそういう障碍を抱えて生まれてきた人たちは、世に出すのが恥ずかしいということで、一人の人間として扱われず、家族が檻のある施設に入所させたりして、世の中から隔離してきたのだから。明らかに不当な扱いとしかいえないが、それが長い長い間、続いてきた為に、時代が変わって障害者の人権を保証する法律が出来ても、習慣として障害者を「バカ」「不具」扱いする観念は今に至るまでしつこく染み付いているのが実情だ。

★そしてそんな感情が、日本の障害者(一見健常者に見えるが、実は脳内の先天異常等により、コミュニケーション能力に難があり、長ずるにつれ社会生活に支障をきたしてしまう「見えざる障碍」を抱えて生きている、いわゆる「発達障碍」の人も含めて)の人権保障や生活支援が進まない、ひとつの極めて大きな原因になっているのではないか。

★今回の幼女殺人事件は、社会に染み付いたその感情の為に起こった、悲しむべき事件になった。


★司法では勝木自身を「殺人者」として処分しようとし、彼の瞬間の激怒ゆえに殺されてしまった幸満ちゃんの遺族は、彼に「死をもって罪を償え」と訴えているようだが、自分が拙い脳細胞で考えるに、幸満ちゃんに障碍者である勝木を「バカ」と言わせ、勝木に瞬間的に殺意を齎し、幸満ちゃんを殺させたのは、この国に昔から染み付いている障碍者差別の観念なのではなかったか。そして勝木も幸満ちゃんも、その観念ゆえに人生を破滅させられた被害者なのではなかろうか。

★凡そ人間であるからには、ハンディキャップがあろうがなかろうが、誰でも他人に、不意に笑いものにされたら「何?」と、瞬間的に怒りが湧いてくるのは当然だ。そういうのは相手にしなければよいのだが、心身ともに障碍を抱えている人間の場合、ひねもす周囲から「バカ」扱いされていたら、世の中に対して憎悪と屈辱の感情が、彼の心の中に澱のようにたまっていくのは想像するに難くない。


★そしてその澱のような感情が、他人に「バカ」呼ばわりされた途端、マグマのように爆発し、時に今回のような悲劇を起こしてしまいかねない。今回の事件が、障害を抱えて生きていくものと、そうでないものとの関係性について、真摯に真剣に、この島国の多くの人々が考える、その切っ掛けになればよいかなと思っている、と書いたところでこのエントリーをUpする。
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ぼつぼつがたり(2)

★つい先日、右目の涙腺に近い部分の白目に、真っ赤な出血のような充血があらわれた。「おお!」鏡を見て、かなりそれが酷いのが分かった。しかし数日でこの充血は消えた。実は以前にもこれと同じ充血が眼に現われたこともあり、そのときも数日して消えた。


★いったいなんだろう、と思っていたが、最近PCを根詰めて使っているから、眼が疲弊してしまったのだろう。眼精疲労は脳疲労に繋がる。眼の健康にはゆめゆめ注意せねばならぬ。


★TwitterのTLを観ていると、色々な人のアカウントをフォローしている所為か、実に様々なツイートが流れてくる…。政治系、文化系、2ちゃんねる風系、お買い物系、サイバー系…etc,etc,

★このぼつぼつがたりも、眠くなってきたのでこの辺で終わり。おやすみなさい。
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ぼつぼつがたり(1) [独白]

★10月の連休は雨で明けた。そういえば前の連休の中日(なかび)も雨だった。しかし今日は昼に入る前から雨がやみ、昼のちょっと前に漸く、お天道様が雲間から顔を覗かせ始めた。

★天気が良くなったのに気を良くして、銀ブラにみせかけ、銀座のアップルストアに赴く。有楽町駅で降り、プランタンのあるほうから、サエグサビルに向かう。店内に着くとおもむろに試用機に向かう。ヘッドホンのプラグを見つけてそこにプラグジャックを差し込み、YouTubeにアクセスして視聴したいものを検索。

★昔のTV局のオープニング/エンディング映像を見る。結構局ごとに個性が違って面白い。こういう映像や音楽を録画・録音したものをYouTubeやニコニコ動画といった動画投稿サイトにアップする人たちが結構いるのだ、ということを実感させた。

★個人的に,これはGood!と思ったのは大阪の毎日放送(MBS)でかつて90年代まで使われていたオープニングとエンディングの音楽。いずれも金管楽器による勇壮なファンファーレ。聴いていて思わず背筋がピン!となるほどに勇壮であった。これならば、ドンナに晩く寝ていても、パッチリお眼々が醒めるだろう。

★もう一つ。同じ毎日放送で、現在放映中のオープニング/エンディング映像&音楽。スタジオの調整室、関西で見られる様々な風物…祇園祭、白鳥、桜、お坊さん、紅葉、夕暮れ、大阪の夜景、などなど…。そして茶屋町にあるという現在の社屋をバックに「毎日放送・JOOR-DTV」のロゴが白抜きで大映り。これらをバックに流れる、ゆったりとした、素晴らしい音楽。先ほどのファンファーレとは水と油の如く対照的な、やさしい曲調。

★映像につけられたコメントを見ると、この曲はアルフレッド・リードというUSAの作曲家によって書き下ろされたミュージック・イン・エアー」という吹奏楽曲で、演奏が大阪市音楽団、とあった。リードの作品は私も高校時代から暫くの間、吹奏楽団にいたこともあり、馴染み深いものだが、これは本当に関西の雰囲気に合っているというか、イントロダクションからして東洋的、日本的な響きが感じられる…まさに佳曲。おそらくはリードの作品集に収められているのだろうが…。

★毎日さん以外には、朝日放送(ABC)で1960年代から`90年代まで流れていた音楽と映像。これも良かったな。堂々とした力強い曲調。ピヨピヨ…と鳴く小鳥の声もおまけについてくる。映像は「未来都市ヴァージョン」と「世界の夜明けヴァージョン」の2シリーズがある。年代的には「未来都市」のほうが古い。これら関西圏のTV音楽といい、在京キー局の「鳩の休日」(日テレ)や「ガラス棒」(TBS)といい、やはり昔のTV用音楽は本当に曲ごとに個性が強く出ているのだった。そのぶんだけある意味『芸術的』だった。

★そうしたTVの面白い珍品映像を堪能した後、すぐにヴァーグナーの「タンホイザー大行進曲」とヴェルディ「アイーダ大行進曲」をYouTubeで聴く。やっぱり巨匠の音楽はいいねぇ!さっきまで視聴していたTV用音楽もいいけど、独逸と伊太利亜の浪漫派2大楽劇作家の音楽は、魂を芯から歓喜させてくれるものだ!『芸術的』の格も中身も違う。

★YouTubeの映像を充分に堪能した後、家路を急ぐ。本でも買おうと思ったが、やめにした。明日もあるしね。
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宗教界もウェブテクノロジーを取り入れる時代、本格到来? [ニュース]



@キリスト教やイスラム教の関係者(聖職者や信者)が、彼等にとって倫理的な問題のあるサイトは通さないフィルターつきのウェブ検索を使い始めた、というこのニュースを読んで、日本の、例えば仏教界ではこういうのは使わないんだろうか?と少しは気になる。

@八百万、というか、いわしの頭も信心という、宗教に対して大らかというより、寧ろ何処か無節操な感覚しか持たないこの島国にとっては、この「倫理的な検索エンジン」は無用の長物、かも知れないねぇ(^_^);

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9月初めの雑感―ゲルニカ(Guernica)という音楽集団について―。 [独白]

★まだまだ続く酷暑。町を行く人々はみな未だに夏の服装。きょうはいつもの半ドンが終わった後、灼熱の太陽を避け、日陰を選んで歩いた。職場近くの蕎麦屋「砂場」で昼食後、銀座へ。

★銀座の歩古典(ホコテン)に出る。雲ひとつない青空、ガガッと照らす白熱の烈日。すっかり焼けて熱くなった路面のアスファルトの上を、せわしげに、またけだるげに歩く通行人たち。

★流石にこの上を長時間歩き続けると、熱射病でバタリ!と倒れるかもしれないので、すぐ向かいのアップルストアで、暫く涼む事にした。

★やはり店内はガンガンに冷房が効いているのと、お客がMacやiPod,iPadに何時も注目しているアップルファンバばかりのようなのとで、きょうも満員御礼だ。


★まずはiMacの試用機を使って、safariを呼び出し、見たいサイトを見る。まづは先日自宅PCにてネットサーフィンの際、偶然見つけた「ゲルニカ」(Guernica)という、ピカソのかの大作から名前を拝借したという、音楽ユニットのオフィシャルサイトにアクセス。

★実を言うと、このGuernicaなる集団、自分がまだ高校生の頃から興味があった音楽ユニットで、LP、CD各々3枚、シングルレコード1枚を今も所有している。因みにGuernicaの構成員は音楽家の上野耕路(電子楽器、ヴァイオリン、作曲担当)、女優の戸川純(ヴォーカル担当)、現代芸術家の太田蛍一(主にジャケット等のデザイン作画と作詞担当)以上の3名である。

★1980年ごろにTV放映されていた「おしりだって洗ってほしい」(TOTO)のCMの印象が強い戸川純だが、歌手としての彼女のキャリアは、なんと此処から始まったとか。

★かつて都内に存在した(今もあるのかな?)「ナイロン100%」、「鹿鳴館」といったライヴハウスを中心に活動を続けていた。レコードリリースは自分の記憶するところでは1979年、「銀輪は唄う」(シングルレコード)、「改造への躍動」が最初だったようだ。時に日本全体がまさにバブルの狂騒に浮かれ始める前夜のことだった。

★その後、数年間の休止期間を経て、バブル末期の1988年、「新世紀への運河」、翌年「電離層からの眼差し」を発表、コンサートツアー活動の後、又も活動休止状態に入ってしまった。

★当時の私は、このとき都内で行われた、彼等のコンサートツアーを聴く幸運に恵まれた。今思えば、これが自分にとって最初で最後の『ゲルニカ体験』であった。

★コンサートは二幕構成で、舞台上の戸川純は第一幕は大正~昭和初期の銘仙風と思しき着物、第二幕はかつてのヴァンプ(妖婦)女優、セダ・バラ(Theda Bara=サイレント時代初期のハリウッド映画で活躍。「カルメン」「シーザーの御世」などの出演作がある)を連想させる、エキゾティックでオリエンタルな衣装で登場し、彼等がこれまでリリースしたアルバムの中から幾つかチョイスしたナンバーを歌って、聴衆を魅了した。会場内はまるで1920~’30年代のアールデコか、若しくはそれ以前の1910年代のアールヌーヴォー的な、セピア色のムードに包まれていた。


★その後、構成員たちは各自の活動に専念しているようだ。上野耕路は最近、キユーピー㈱のCM曲「たらこたらこ…」の作曲を担当したそうだし、太田蛍一は今も画家・デザイナーとして活躍中。戸川純は、同じく女優であった妹・京子の死後、病を得て暫く世間に現われなかったそうだが、つい先日女性誌に最近の動向が掲載され、それによると、他の個性的音楽家と元気に競演していたそうな。


★Guernicaの志向していたと思われる、ヴィジュアル面でのお手本モティーフは、主にスターリン台頭以前のロシア(ソビエト)で盛んだった芸術様式「アヴァンギャルド」か、分離派(ダダイズム)と呼ばれる美術形式だった。そうしたスタイルの流行ったかつての時代風景を多少のユーモアを交えながら、パロディと言うにはあまりに大真面目、また芸術的と言うにはあまりにオーヴァーステイトメント(大げさ)な身の振り方で、彼等は音楽表現していたのではなかろうか。…ということを、今になって考えている。

★Guernicaは、しかし、果たして1980年代のミュージックシーンにおける、単なる「あだ花」のひとつだったのだろうか。彼等の一見オーヴァーなライヴでの表現に秘められた、芸術性の本質や哲学性は、今後、再評価されるべきであろう。
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2010-08-15 [ニュース]



★このニュースについては、メインブログ「パンドラの函」にも紹介されている。よろしければ参照を。


★靖国問題で毎年のようにかまびすしくなる、日本の夏。自分がもし、当時出征していった兵士の生き残りだったら、このA級戦犯まで祀っているところを参拝するのか。しないだろう。
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「ひょうたんからコマ」というより「ひょうたんが金に」! [ニュース]



★焼け跡などで見られるありふれたコケ「ヒョウタンゴケ」。実は重金属や貴金属を吸着する能力があったとは。生物の未知の力を利用したリサイクルに、またひとつの道が開かれた。

★まさに「ひょうたん」から「コマ」というよりは、「ひょうたん」が「金」になった、という快挙だ!
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何処かの小国では考えられない事態…。 [ニュース]



★ネット上で流布するわいせつ画像に対しては、日本よりもインドネシアのほうが、以前からより徹底した、厳しい規制がなされているものと思っていた。このニュースを知るまでは。

★そんな映像が、あろうことかインドネシアの国会内の情報啓示用スクリーンに突如現われ、15分間も流れたという。引用記事を読む限りでは、あまりに不測の事態故に、政治日程を調べようとしていた官僚やジャーナリストらがあっけにとられ、言葉を失った様子が伝わってくる。

★何故このようなことが起こったのか、原因は不明とのことだが、もしかしたら、インドネシア国内で厳しくなる一方のネット規制に不満をもつ何者かが、ネットから入手したその画像を、抗議目的で流したのかもしれない。あるいは国会をからかう為のいたずら目的でやったのかもしれない。

★何れにせよ、この1件でネットへの規制がますます強化される事態を招きかねないことは、これもまた記事を見る限りでは、間違いないだろう。

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2010-07-31 [独白]

★久方ぶりに銀座・数寄屋橋のSONYビルに来た。ここでは今、「Sony Aquarium」が沖縄美ら海水族館などの協力で開催中。ビルの前の広場には毎年のように魚たちの泳ぐ水槽があり、親子連れやカップル、外国からの観光客がきらきらと目を輝かせて、水槽を見つめていた。

★水槽には鮫が3頭、ネムリブカ、トラフザメ、サカタザメ。エイが1頭、毒ウツボが1頭、巨大なハタ1頭、蝉海老、錦海老、その他キンギョハナダイ、ルリスズメダイ、デバスズメダイといった色鮮やかな小さな魚たち多数。

★鮫たちとハタ、ウツボの迫力に圧倒されるお客さんが結構いた。中に入ると、筒型の水槽が2つ。ロビーの真ん中には赤や緑などの極彩色の模様を着込んだ大きなブダイが。その他サザナミヤッコ、自分より大きな魚の身体についた寄生虫などを食べ、相手の体を綺麗にするホンソメワケベラ、チョウチョウウオ、クマノミの一種、逆立ちして泳ぐヘコアユ、そして体が透明な小さな魚たちの群れも。

★玄関の右端にある小さな円筒形の水槽には、タイマイ(玳瑁)の子どもと思しき海亀が1頭、水面に浮いたり、水底に沈んだりしていた。甲羅の長さは約25㎝と見た。


★上に上がって立体映像の出るコーナーを見てまわる。マングローブの林、珊瑚礁の海、そして外海を行く回遊魚たちの姿。3D用のめがねをかけて見るのだが、長く見ていると少々チカチカしだす。

★更に上階へと上る。SONYのTV「BRAVIA」のあるコーナーにハイヴィジョンシアターがあり、観覧自由ということで其処にはいると結構狭いが故に、たった数人で、もう満員になっていた。隅っこで見る。

★北極の風景。ホッキョクグマ、イッカク、セイウチ、おろろん鳥(ウミガラス)の姿を見る。ホッキョクグマは温暖化の所為で自分の居場所を無くしつつある、ということが映像を見てじかに伝わってきた。

★ハイヴィジョンシアターを抜け出し、ソニーショップ「AVIC」へ行く。久しぶりに来たら場所が変わっていた。しかも聞けば、嗚呼なんときょう(07/31)で閉めると。何だか寂しい…。自分なんかもう10年来も来て、時々だがヘッドホンやその付属品を買っていた。店員さんの対応が良くて、私はこの雰囲気が好きだったのだが…。

★裏へまわると7階、リストランテ・サバティーニ数寄屋橋店のあるフロアへ。この場所は自分が思うに、SONYビル開館当初の面影を伝えてくれる貴重な場所。天井の六角デザイン(ハニカム形状)から当時の空気が伝わってくる。


★其処からすぐ上の階がSONYビル自慢の簡易3Dシアターのある、オーパス(OPUS)。入り口にくるなり3D用メガネを渡される。中へ入って2、3分ほど待つと、もう始まった!

★映像を見る。飛び出す映像!見るだけで圧倒される威容を見せる地球最大の魚類、ジンベエザメ、大きくゆったりとはばたくように泳ぐマンタ!その他、黒潮に生きる魚たちが戯れていた。そう、映っているのは沖縄・美ら海水族館の「黒潮の海」のコーナーだ。

★ジンベエザメは兎に角大きい。そしてとてもおとなしい。「大きくて優しい」。そんなジンベエザメが、雄大にゆったりと泳ぐその姿に、心が震える思いだった。

★ジンベエザメのお食事風景がとても良い。大きな口を広げてえさを水といっしょに吸い込む。自然界ではアミ類や動物性プランクトンなどを一気に吸い込んで食べると聞いていた。


★OPUSの映像を見終わった後、和光の時計台方面へと足を運ぶ。アップルストアでiMacの試用機にタッチして、ツイッターにログイン。幾つかツイートした後、YouTubeを見る。ハーピスト・松岡みやびさんの動画映像を検索して見つけ、えもいわれぬ音色にうっとりしながら視聴。

★その後、茂木健一郎氏がUstreamで自主放送している「けんもぎTV」を見てから、またYouTubeへと戻り、動画を見る。

★その「けんもぎTV」では茂木さんが、心の中に抱いていた「今の日本を支配しているシステム」に怒りつつ、「自分を束縛しているものを断ち切り、フィールドを自由に走り回るように生きるのだ、今からでもできる」と言う内容のことを言っていた。

★彼は日本という小世界を深く愛するが故に、何とも後ろ向きな日本の、今の現状に怒りと悲しみを向けられるのだ。彼は怒りながら、実は心の中の深いところで涙しているのではなかろうか。私には思える。

★彼の心の涙は、潜在能力を持っていながら、色々な慣習とか制度とか受験システムとかに縛られすぎて、それを発揮できないまま人生を棒に振りがちな我々の眼線に立ったうえで、何とか我々にそれらの呪縛を、己の内発的な力で超えてほしいとの深い願いから発しているのだ、と私には思えた。


★氏は我々に向かって、個々人の精神まで縛り付ける「鎖」を断ち切れ!とそれこそ懸命に叫んで、明治以来の社会システムからの脱却を促し、ネットの普及により「偶有性の必然化した」この世界に本気で飛び込んで生きろ、と訴える。(彼もきっと我々と同じように「鎖」に縛られているところもあるであろうが、それを自ら断ち切ろうとしているのに相違ない)

★それは全地球上の津々浦々における、異文化・異世界とのぶつかり合いという、今になってますます激しさを増していく事態と、通底しているように思えた。我々は勇んで、そのぶつかり合いの中に、身を投じる思いで、この混迷する一方の乱世を、孜々として又果敢に、生き抜かねばならないだろう。
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いま、ここで変えなければ・・・!行動するある知性の決意。 [独白]

★先日「週刊ポスト」(7/5号)を読んでいたら、「脳のトリセツ」というコラムに眼が止まった。自分が尊敬している著名な脳科学者・茂木健一郎の手になるコラムである。

★コラムは、その茂木さんが、ある日、母校である東大の学生たちの前で、この日本を覆っている危機的・閉鎖的な状況について、危機感をもってもらいたいという熱い思いを込めて語ったら、学生たちから思いも寄らない返答をもらった、という内容であったのだ。

★その内容を見て、近頃の東大生は実に実に情けない・・・!と思わざるを得なかった。「危機感は判るが幾ら言っても何も変わらないじゃないか」。と茂木さんに彼等がこういった、というのである。

★このくだりを読んだ時、一瞬『何を言うか!天下の東大生ともあろうものが、そんな情けない愚痴を言って如何するのだ。だいたい、世の中が何も変わらんのはおまえ等に「この世の中を変えようとする勇気と知恵が出てこない」からじゃないか!ふざけんじゃねぇ。』という思いがパッ!と胸に溢れた。

★しかし一方で、この東大生たちはこの少なくとも10年間、改革を幾ら叫んでも何も変わらない今の世の現状を見て、俺たちが、あるいはこれから先も誰かが何かを言っても、何も変わらないままなんだろう、と思い込まされているのだろうとも思った。

★茂木さんは彼等の返答に寂しい思いをしながらも、「危機は今此処にある、変えなくては日本は沈む。だからこれからも(この日本を覆う未曾有の危機について語る事を)続けるつもりだ」と決意を披露して、コラムを締めくくっている。

★国の将来を憂え、それをなんとかしたいという熱い思いをもって語ってくれた君たちの大先輩に向かって冷めた返答をした学生たちも、状況が今よりも、もっと悪化すれば、その時にやっと危機感をもつやもしれぬ。が、そのときには茂木さんもすでにいなくなり、この日本という小世界も消えかかっているやもしれぬ。

★でもそうなってからでは晩いのだよ、東大のイマドキの諸君。君たちが今いる此処、この場所で一日も早く茂木さんのような、この島国の未来を心配している人たちと危機感を共有し、勇気を奮っていっしょに世の中を変える努力をしたほうが、周りの人々の幸せの為になると思うし、何より、君たちの為になるんだと、ガラテアは思うんだよぉ・・・。

(2010/07/09更新:同・07/10加筆訂正)
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