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あの日も炎天下だった―終戦記念日。

@2009年8月15日、64年前の同じ日も、空は青く晴れ渡り、熱い真夏の太陽がマトモにガッ!と照りつける日だった。

@あの時、大多数の人々は、音声のガーガー、バリバリと乱れたラヂオで、天皇の玉音放送を聴き“大日本帝国”の完全崩壊を知った。戦争に負けたのである。

@ある人は泣き、ある人は心の底からほっとし、またある人は「戦争はまだ終わってない!神国日本は負けたわけではない」と絶叫したことだろう。

@いずれにしても64年前のきょう、人々は、このファシズムの奴隷に成り果てた島国が戦争に負けた事実を受け入れるしかなかった。


@あれから空の上を沢山の星が流れた。そして今日、またぞろファシズムを宣揚しようなどとする不届きな輩が、この期に及んで蠢き出している。閣僚達の靖国参拝も行われた。小泉純一郎と安倍晋三は、共に元総理として参拝したらしい。どうせ参拝するなら私人として、個人的にするべきなのに、国会議員の立場で参拝するとは。政治は常に祭祀(宗教)とは中立というか、距離を置くべき関係にあるのが、適正なありかたなのではないか。

@また今だに、この島国は、731部隊の悪魔の実験や南京大虐殺の事実に、真正面から向き合おうとはしていないように思える。本当であれば、独逸における「ナチス追及」のように、軍属から一般市民に至るまで、ファシズムに付和雷同、または意識的、自発的に関わったその罪は、厳しくさばかれなければならないはずである。

@しかし日本では独逸の場合と異なり、一般市民の場合、ホトンド付和雷同してしまったのが現実であろう。それでも、戦争に賛成したという事実は消えない。消えないけれども、当時の大衆の多くは深くそれを悔やんでいる。そして、戦争は結局何の得にもならない。戦争で齎されるのは、破壊と滅亡と不幸などでしかない、だから戦争はやってはいけない、次世代にこの事実を伝えなくてはならないと、戦争の痛みに耐えて叫び続ける権利が、彼等にはある。ゆえに、彼等の罪はきっと、許される。

@許されざるべきは、戦後、何の反省もないままに、のうのうと現在まで生き残ってきた戦争を始めた当事者たちであり、自発的に戦争礼賛を叫んだ当時の腐れ文化人、ジャーナリズムであり、また今日において、歴史の教訓から何も学ぶことがないまま「日本は侵略国家ではない」などとのたまう脳天気な日本版ネオ・ファシストたち(主に歴史修正主義者)である。

@当時の悲惨な日々を生き抜いてきた人々が段々と生物学的な死を迎え、年々、亡くなっていき、それにつれて戦争当時の生々しかった記憶が風化しゆくのとは対称的に、戦中・戦後に生まれ、戦争時代の悲劇を知らないまま育ってきた上に、歴史修正主義のご都合的な戦争史観に盲目的に賛同し、若者たちに誤った歴史認識を植え付け兼ねない、こうしたネオ・ファシストたちの蠢動は、見ずごせざるものがある。

@私達は平和を実現する為にも、戦争の惨禍を、完全に風化してしまう前に伝えるのみならず、そうして修正主義的ネオ・ファシストたちの蠢きにも、断じて機をつけなくてはなるまい。彼等の一見威勢のいい言葉に、若者はだまされてはならない。
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コメント 1

ネコミミモード突入www


オタ系の子いいねーwwwww
ちっとコスプレしてくれって言ったらネコミミメイドになってくれたしwww
しまいにはあえぎ声まで「にゃーん」とか言ってたしなwww(*゚∀゚)・∵. ブハッ!!
あーでもこれかなりハマるわwww次は巫女のカッコさせる予定wwwww

http://envi.strowcrue.net/dd14mr5/

by ネコミミモード突入www (2009-08-15 23:28) 

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