茹だる暑さに馴れた頃には
★昨日(7/19)は関東甲信越でもついに「梅雨明けしたと見られる」との宣言が。でも何故、宣言なのに「~と見られる」がつくのか?
★宣言ならば堂々と、「梅雨明けしました」と言えばいいのに。ところが天気は変わりやすく、一種気まぐれ。「梅雨明けしたと見られる」という玉虫色の宣言でなくてはならない理由を考えてみるに、梅雨明けしたと思ったら、実は梅雨前線がまた復活しました、なんていう事態が起こるかもしれない、という心配が、気象関係者の中にあるから、あんな玉虫色の宣言になるのだろう。
★近年の温暖化も相俟って、今の天気は梅雨が明けたと思ったらまだまだでした、があり得るわけだ。梅雨明けのないまま夏が過ぎ去った年もあったし…。
★それでもだいたいは、梅雨明け後はからりとした晴天が続くのが普通。そんな日々が続き、連日茹だるような暑さに身体が慣れきった頃には、秋の気配が忍び寄っているものだ。
★もう7月も半ばを過ぎた。銀座のホコテンを風鈴の行商が、カラカラ、チリチリン…と涼しげな音を響かせつつ売り歩いている時期だ。
★芥川龍之介の、未発見遺書の現物4通が東京・目黒にある遺族の家で見つかった、というニュースがあった。通説では芥川の遺書は6通分が彼の全集に納められているが、一部を除いて火にくべられ処分された、といわれていた。今回新たに見つかったのは妻・文子あての2通と「わが子等へ」と題して子供達宛てに書かれた1通、そして友人の作家・菊池寛に宛てたと思われる1通。
★子供たち宛ての1通には「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」と丁寧な楷書体で書かれて居た。
★人生は死に至る戦い…。生まれてから死ぬまで人生は「戦い」だ、「闘争」だ、と彼は子供たちに伝えたかったのに違いない。せめて子供達にはなるべく、早死にしないで長く生きてもらいたいという気持ちが、彼にあの言葉を書かせたのか。
★よく知られている「将来に対する唯ぼんやりした不安」といい、上の言葉といい、何か鋭い人間特有の、先行きに対する怯えと落ちつきのなさを感じる。
★作家として売れなくなる、という不安、それでもペン一本で家族を支えていかなくてはならないという重圧、これからは「軍による表現の自由の制限がくるかもしれない」という不安、健康上の不安…。ありとあらゆる不安が芥川の内面を押しつぶしてしまい、彼は未来に完全に絶望してしまった。そしていまから81年前の7月、芥川は東京は田端の自宅で毒をあおって自死したのである…。
★生とは、死という名がついた「細胞のエントロピー最大状態」に向かう過程であり、その「最大状態」に向かうスピードを、自己再製システムを細胞単位で繰り返しながら少しでも遅らせ、1分1秒でも長くこの世にとどまって居たい、というサヴァイヴァル本能を働かせて「死」に対するありとあらゆる抵抗を試みる続けることでもある。
★しかし、いきなりの事故でとか、あまりにも強いストレスが長く続いたり…などすると、エントロピー増大のスピードはあっと言う間に早まり、下手をするとその増大の力に抗いきれなくなり、「死ぬ」という状態になる。ロボットなどと違い、完全に死んでしまえばもう2度と復活はありえない。芥川は繊細な人物ゆえに、当時、最早死ぬことしか考えていなかった。精神的な面から、急速に死へと向かいつつあったのだ。
★時代は今、多様化するうえに、家庭にまで効率とか成果的な競争原理がのべつに入りこみ、人々の精神的な余裕を奪っているという。その余裕のなさに人々は堪えきれなくなり、鬱の病に罹ってしまう。年間3万人もの人々が鬱が原因で自殺している。芥川のように内面が押しつぶされて死んでいく人が後を絶たない。自死の誘惑に打ち勝つよう、ひとりひとりの個を強くする人生哲学の必要性を感じざるを得ない。
★宣言ならば堂々と、「梅雨明けしました」と言えばいいのに。ところが天気は変わりやすく、一種気まぐれ。「梅雨明けしたと見られる」という玉虫色の宣言でなくてはならない理由を考えてみるに、梅雨明けしたと思ったら、実は梅雨前線がまた復活しました、なんていう事態が起こるかもしれない、という心配が、気象関係者の中にあるから、あんな玉虫色の宣言になるのだろう。
★近年の温暖化も相俟って、今の天気は梅雨が明けたと思ったらまだまだでした、があり得るわけだ。梅雨明けのないまま夏が過ぎ去った年もあったし…。
★それでもだいたいは、梅雨明け後はからりとした晴天が続くのが普通。そんな日々が続き、連日茹だるような暑さに身体が慣れきった頃には、秋の気配が忍び寄っているものだ。
★もう7月も半ばを過ぎた。銀座のホコテンを風鈴の行商が、カラカラ、チリチリン…と涼しげな音を響かせつつ売り歩いている時期だ。
★芥川龍之介の、未発見遺書の現物4通が東京・目黒にある遺族の家で見つかった、というニュースがあった。通説では芥川の遺書は6通分が彼の全集に納められているが、一部を除いて火にくべられ処分された、といわれていた。今回新たに見つかったのは妻・文子あての2通と「わが子等へ」と題して子供達宛てに書かれた1通、そして友人の作家・菊池寛に宛てたと思われる1通。
★子供たち宛ての1通には「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」と丁寧な楷書体で書かれて居た。
★人生は死に至る戦い…。生まれてから死ぬまで人生は「戦い」だ、「闘争」だ、と彼は子供たちに伝えたかったのに違いない。せめて子供達にはなるべく、早死にしないで長く生きてもらいたいという気持ちが、彼にあの言葉を書かせたのか。
★よく知られている「将来に対する唯ぼんやりした不安」といい、上の言葉といい、何か鋭い人間特有の、先行きに対する怯えと落ちつきのなさを感じる。
★作家として売れなくなる、という不安、それでもペン一本で家族を支えていかなくてはならないという重圧、これからは「軍による表現の自由の制限がくるかもしれない」という不安、健康上の不安…。ありとあらゆる不安が芥川の内面を押しつぶしてしまい、彼は未来に完全に絶望してしまった。そしていまから81年前の7月、芥川は東京は田端の自宅で毒をあおって自死したのである…。
★生とは、死という名がついた「細胞のエントロピー最大状態」に向かう過程であり、その「最大状態」に向かうスピードを、自己再製システムを細胞単位で繰り返しながら少しでも遅らせ、1分1秒でも長くこの世にとどまって居たい、というサヴァイヴァル本能を働かせて「死」に対するありとあらゆる抵抗を試みる続けることでもある。
★しかし、いきなりの事故でとか、あまりにも強いストレスが長く続いたり…などすると、エントロピー増大のスピードはあっと言う間に早まり、下手をするとその増大の力に抗いきれなくなり、「死ぬ」という状態になる。ロボットなどと違い、完全に死んでしまえばもう2度と復活はありえない。芥川は繊細な人物ゆえに、当時、最早死ぬことしか考えていなかった。精神的な面から、急速に死へと向かいつつあったのだ。
★時代は今、多様化するうえに、家庭にまで効率とか成果的な競争原理がのべつに入りこみ、人々の精神的な余裕を奪っているという。その余裕のなさに人々は堪えきれなくなり、鬱の病に罹ってしまう。年間3万人もの人々が鬱が原因で自殺している。芥川のように内面が押しつぶされて死んでいく人が後を絶たない。自死の誘惑に打ち勝つよう、ひとりひとりの個を強くする人生哲学の必要性を感じざるを得ない。
2008-07-20 19:32
nice!(0)
コメント(1)
トラックバック(0)
茹だる暑さに馴れた頃には:ガラテア通信 ブログ板:So-netブログ
by ティファニー ネックレス (2013-06-14 16:40)