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似非な信念。

★ある人が、我々日本人の「本音と建前」論の背後にあるのは、実は『どっちだっていいや~』、あるいは『どうでもいいや~』という、如何にも腑抜けなニヒリズム(虚無主義)だと、鋭く喝破している。

★「建前は真ではなく、本音も真ではありません」・「僕たちは何も信じられず、何も信じていないのですが、自分たちは信念をもっているし、本心も持っていると思っているのです」(加藤典洋『日本の無思想』平凡社新書より)。

★確たる信念も本心も持っていないのに、自分達は各々信念・本心を持っているのだと我々は錯覚している、というのである。

★これは由々しき話だと思うと同時に、極めて言い得て妙であると思う、何故なら、私も常々、本邦のよくある「本音と建前」論は、中身が全くない、煙のようなものだと思っている。

★建前を振りかざしても、また本音ぶってみても、そこにあるのはニヒリズムの煙だけ。こういう傾向が我々の心を芯から蝕み、閉塞感を生み出す元凶の一つともなっている。建前も“嘘”、本音も“嘘”。では何処に一体「真」があるのか。

★我々の中に“信念”のふりをした、亡霊の如きニヒリズムしかなければ、この世の中は何時まで経ってもよい方向に変わっていかないではないか。政治も、経済も、教育も、そして文化も。

★政治意識のみならず、世のあらゆるジャンルでこんな虚無感が蔓延(はびこ)り尽くし、あたかも海面にゆらゆら漂うクラゲの如く、人心は漂流を続けてばかりいる。

★やはり世の中の、あらゆるジャンルでの第一人者(つまりリーダー群)が、己のエゴを棄て、実(じつ)のある大きな思想・信念を貫き、「誠」の一字(まるで新撰組だが)で、世の為・人々の為に真剣に尽くさなければ、世の中なんかどうだっていいや~、人生なんてどうでもいいや~、という虚無主義の“亡霊”を、大衆の心から追い払うことはできないのではないか。
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